2017年12月26日火曜日

『プリズンホテル(3)冬』(浅田次郎)読みました。


このブログには記してないけど、
実は、読んだ本には年初に1番をつけ
そのまま1年分の連番で
ナンバリングしてるんです。

今回は「111」でした。

でもこれ、
その前が「109」だったんです。
本来なら警察の電話番号「110」の
はずなんですが、欠番にしちゃいました。

警察が嫌いだからってわけじゃないんです。

本当は欠番じゃなく、番号を振り直した。
エクセル使うと一瞬でできちゃいますからね。

なぜそんな番号繰り上げをしたかというと、
本来の「104」の次くらいに
もう1冊あったのを見逃していたんです。

読み終えて感想文もどきを
書こうとしていたのに、なぜか忘れてしまい、
そのまま次の本のことを紹介しちゃった。

そのときは、
仕事のドタバタが頂点だったみたいで、
頭からすっぽり抜け落ちた。

もしかしたら、
抜けていたのが違う本だったら、
何も気づかずに、ずっと1冊少ないまま
今年の読了冊数を締めていたかもしれません。

で、この『プリズンホテル(3)冬』。

抜けてたのは、この本の
シリーズ前巻である『同(2)秋』でした。
(3)のことを書こうと思い、
前巻は何を話題にしたのかと見直してみたら
「あれ? ないじゃん」と抜けに気づきました。
ヌケたのがシリーズものでよかったです。






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2017年12月21日木曜日

『ホワイトラビット』(伊坂幸太郎)読みました。


プラモデルってどうやって
つくるんでしょうかね。

いやいや、
箱入りで売っているプラモなら、
わかりますよ。
附属の設計図を見ながら
組み立てていけばいいんですから。

じゃなくて、知りたいと思ったのは、
そのバラバラパーツをつくるときの
やり方です。

プラモのメーカーの人が、
商品をつくるときの方法。

最初はやはり
完成した全体像を考える(はず)。

だって、個々の部品からつくったら、
例えば、お腹の部分がポコッと外れる
ずんぐりむっくりの
緑の輸送機・サンダーバード2号を
プラモにしようと思ったとき、

まずポコッとお腹のコンテナをつくり、
あんなんで飛べるのかと
不安になるちっちゃめ両翼をこしらえ、
頭を仕立てて、尾翼を製作……
なんて具合にパーツを用意したとして、

それを組み合わせてみたら、
ことごとく寸法違い
なんて自体になりかねない。

やっぱ、まず完成形をつくって、
それをどう分解し
パーツにしていくかを考える。
手順はそれでしょね。

ってことは、
いったんつくったものを、
いかに壊していくのかに
ノウハウがあるような気がします。

で、この『ホワイトラビット』。

きっと、プラモのメーカーさんが
やっているようなやり方で、
物語をこしらえているんじゃないかな
って思いました。

でも、最初につくった完成形とは
違う構造になっている。さすが。





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2017年12月19日火曜日

『怪盗紳士リュパン』(モーリス・ルブラン)読みました。


毎日のランニング通勤のゴールは、
会社近くのスポーツクラブです。

もう7年近く通っているのですが、
この前初めて、そこの会員カードを
無くしちゃっいました。

場所はジム内。
これがなんとも不可解なんです。

カードはまずジム受付で
チェックインの機械にピッと通し、
そのまま着替えの場所まで持っていき、
ロッカーのホルダーに差し込みます。
差し込まないと
鍵をかけられない仕組みです。

ロッカーにカバンなんかを入れて、
暗証番号で鍵をかけ、プール&シャワー。

汗流しが終わったら、ロッカーに戻り、
荷物を出し、会員カードも引き抜いて
カバンのポケットに入れ、
着替えて、またジムの受付で、
今度はチェックアウトの機械に
ピッとするのがいつもの流れ。

でもそのチェックアウト時、
ポッケにあるはずのカードが無い。

滑り落ちたかと思い、
戻ってみても、無い。

通路やら、ロッカーのホルダーやら、
あちこち見回しても無い。

あららってなり、
ジムの人に事情を話し、
カード無しで退館させてもらいました。

もしかしたら、
どこかから出てくるかもしれないので、
再発行はしばらくたってからということで。

でもでも、その翌日ジムに行くと、
「これですね」と
無くしたカードを渡されたんです。

受付のお姉さんは、どこにあったのか
誰が見つけたのかは聞いておらず、
いつ出てきたのかもわからずじまいでした。

で、この『怪盗紳士リュパン』。

ルパンだったら、
カード紛失後、即発見
なんて手品みたいな芸当は
お得意なんだろうな。





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2017年12月14日木曜日

『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』(井上ひさし他)読みました。


少し前『校閲記者の目』という本を読んで
感想文もどきを書きました。

例によって、そこには
本の内容とはまったく関係ない
友だちの話を書いています。

今頃になって懺悔しちゃうと、
その友だちは、実在する人物ではなく、
何人かの友だちを組み合わせて
ぼくが頭の中でつくったキャラなんです。
すみません。
(あ、そういうことよくあるので、
 今後も、ぼくの言動をまるまる
 鵜呑みにするのはお控えください。
 書いていると
 盛っちゃうんですよね、つい)

えーっと、
長くなっちゃいましたが、
今回は、その盛り話を、
まるで本当のように語ったことへの
謝罪をしようと思ったんじゃありません。

その架空友だちの言った話が、
間違っていたと言いたかったんです。

架空友だちの発言を簡単にいうと
「〈鼻くそをほじる〉は誤りで
 〈鼻の穴をほじる〉が正解」ってこと。

それなんですが……
今更のようにぼくがいうのも何ですが、
なんと、日本語ではありなんだそうです。

助詞の「を」は、
結果を伴うってルールがあるみたい。

「水を沸かす」じゃなく、
水をわかした結果の「お湯」を伴って
「お湯を沸かす」。

地面じゃなく「穴を掘る」
米じゃなく「飯を炊く」。

だからほじった結果の〈鼻くそ〉は
正解なんです。

で、この『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』。

そんな日本語のことなんかが
書いてありました。





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2017年12月12日火曜日

『ま・く・ら』(柳家小三治)読みました。


題名すら忘れてしまった映画なんですが、
その中の1シーンだけ、
なぜか記憶に残っている場面があります。
確かアメリカの映画。

娘の彼氏が家の前に
クルマで乗り付けたところです。
デートの約束とかがあったんだと思います。

プップッとクラクションが鳴ると、
娘が、見送りのお父さんと
一緒に出てきました。

娘はそのまま助手席に乗り込む。
寂しげにクルマの横に立つお父さんは
「じゃあな」とか言って、
窓から頭を突っ込み、
中にいる娘のほほにキスします。

そこで父さんは、
ぎこちない笑顔を彼氏に向け、
「えーっと、何か言わないといかん」
って表情をしたかと思ったら、
シートベルトを締める仕草をしながら
こう言ったんです。

「ちゃんとコンドームをつけろよ」

そのあと、すぐに間違いに気づいて、
「シートベルトだぞ、シートベルト」
と何度も言い直す。

言い間違いですね。

そのシーンを見た瞬間は
「そんな間違いはしねーよ」
と思ったんですが、
いろんな人のいろんな言い間違いを
思い出してみると、
「いや、あの間違いは十分ありうる」
って考え直しました。

で、この『ま・く・ら』。

この本にも楽しい言い間違いが
載ってました。
続編もあるようなので、
そっちも読もっと。





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2017年12月7日木曜日

「ノア・ノア タヒチ紀行』(ポール・ゴーガン)読みました。


もう数年前に亡くなっている親父は、
ぶつかった自動車を直す
板金屋さんでした。

修理だけじゃなく、
頼まれれば、新車も売ってた。

メーカーはたいていトヨタです。

長年仕事をもらっている
トヨタのディーラーさんを通すと、
何かと都合が良かったんだと思います。

なので、息子のぼくに
クルマが必要になったときには、
親父に頼んで手配してもらっていました。

もう10年以上も乗った前のクルマは、
子どもを乗せるための
ワンボックスという指定以外、
車種にもメーカーにも
何のこだわりもなかったから、
必然的にトヨタになりました。

でも今は、
頼れる親父がいなくなったので、
買い換えるとなると、
自分で街道沿いのディーラーに
行かなきゃならない。

ということで、今は最寄りのホンダ。
ステップワゴンになってます。

で、この『ノア・ノア』。

親父に頼んで納車された
以前のクルマは「ノア」でした。

親父が生きていて、
2台続けば「ノア・ノア」に
なってたのかな。

あ、自分でノアを買えばよかったのか。
とはいえ、相変わらず何の感想にもなってない。
すみません。





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2017年12月5日火曜日

『ゲバラ漂流 ポーラースター』(海堂尊)読みました。


「朝令暮改」を辞書でみると
「法令などがすぐに変更されて一定せず、
 あてにならぬこと」
って載ってました。

良い悪いって区分けすれば、
良いほうには入らない言葉でしょうね。

でも、それを地で行く人のこと、
うらやましいと思うときもあります。

ちょっとやってダメなら
すぐに諦められる人。

ぼくは、ある程度何かに手をつけると、
それを途中で投げ出すのが、
もったいなくてできない臆病ちゃんなんです。

ちょっと前に
ダム建設を中断するとかしないとかで
問題になったことがあるけど、
もしぼくがそれを
決断しなきゃならない責任者だったら
(絶対そんな責任者にはなりたくない)
中断なんてもってのほか、
あくまで続行を指示してます。

で、この『ゲバラ漂流 ポーラースター』。

シリーズ2冊目なんですが、
次に出る3冊目への続行は
やめようかなと思ってます。
朝令暮改のできる人を目指して。





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2017年12月1日金曜日

『かもめのジョナサン』(リチャード・バック)読みました。


たしか昔のテレビCMで

「覚醒剤やめますか、
 それとも人間やめますか」

ってのありましたよね。
それが流行語みたいになっていた頃です。

24時間営業のファミレスでバイトしてました。
映画学校の学生してたときです。

ショートフィルムの製作を学ぶ
100フィート実習っていうも、その頃やってました。
ロケハン予定の前夜にバイトで徹夜して、
そのまま集合場所の横浜の山下公園に行ったら、
まだみんな来ていなくて、
ベンチで横になって寝て待っていたら、
誰かが起こしてくれたはいいけれど、
そのときはもう夕方で、
その日の作業は終わってた。
なんてこともありました。

今みたいにブラックなんて言葉もなくて、
ボロボロヘロヘロになっても、
シフトに入れられたし、

それで稼げるのならと、
大半のバイト仲間は、文句は言いませんでした。

それでも一人だけ、先輩のバイト生が、
無理して働くのは止めた方がいいって、
ことある度に言い張っていたんです。

その先輩が、いつも言っていたのが、
「バイトやめますか、それとも人間やめますか」
でした。

で、この『かもめのジョナサン』。

かつてのぼくのバイト先のファミレスは
「ジョナサン」って名前でした。
ジョナサンつながり……
……たまにはおやじギャグだけで、
文字を埋めてみようかなと思っちゃいました。





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2017年11月29日水曜日

『校閲記者の目』(毎日新聞校閲グループ)読みました。


それは別にいいんじゃないの、
ってトコに、のべつ幕なしに
突っ込んでくる友だちがいます。

ファミレスなんかで一緒に食事するとき、
料理を運んできたウェイトレスさんが

「こちらはナポリタンになります」
とテーブルの上に皿を置くと、

それをじっと見つめて

「これはもうナポリタンだろ。
 これからナポリタンになるのか。
 なってるのに、なるのか。
 もうなっているのに、
 これからなるみたいに言うのは
 おかしいだろう」

とぼくに言う。

直接ウェイトレスさんには言わない。
彼女が向こうに立ち去って
自分の声が聞こえなくなったころに、
ぼくに対して言う。

そんな基本ビビリなところがあるので、
まあ許せはするんだけれど、
ときどき面倒くさくて
相手にしたくないこともある。

「アイツ鼻くそほじってるよ」
なんてぼくが言おうものなら、
鬼の首を取ったように
「鼻くそは、ほじってないだろ」
と鼻くそ飛ばす勢いで指摘する。

「鼻の穴をほじっているんだ。
 鼻くそなんて小っこいモノは、
 針を使わなけりゃほじれない」

そんなときは、足音を立てないように、
すすすっと
彼の前からいなくなることにしています。

で、この『校閲記者の目』。

間違った日本語の使い方の
あんな例、こんな例が
たくさん載ってました。
校閲記者さんは、
それをキチンと指摘しなきゃいけない。
あいつ、その仕事やればいいのに……。





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2017年11月21日火曜日

『ザ・サークル』(デイヴ・エガーズ)読みました。


出版業界の片隅に
しがみつかせてもらっている
ぼくとしては、
なるべく売上に貢献しなければいけないと
常々思っているのですが、

やはり自分のサイフから出ていくモノは、
できるだけ少なくしたいという
ちんけな考えを抑えつけるのは難しく、
同じものなら安価で入手したくなる。

そう、前にも何度かいいましたが、
同じタイトルで文庫本と単行本が出ていれば
即座に文庫本を選ぶってこと。

特に当てはまるのが長い物語の場合。
単行本なら一冊にまとまっているのに、
文庫だと上下巻に分かれてしまうとき。

上下巻の文庫なら、まとまった単行本を
読み終えるのと同じ時間で2冊読める。

それなら、
この感想文もどきも2冊分書けるので、
ネタ不足な状況も少し解消できる。
これで一石二鳥。
さらに、読む時に本を持つ腕も疲れないので、
三鳥になって、焼き鳥にすれば、
お腹いっぱい食べられる。

で、この『ザ・サークル』。

単行本で買いました。
買った翌週に上下巻分冊で
文庫が出るってこと知りました。
おお、まい、がっ。

こうなったら、
文庫の上下巻も買って、
読み直しちゃおうかな。面白かったし。





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2017年11月16日木曜日

『AX アックス』(伊坂幸太郎)読みました。


きっとネットを検索すれば
答えが載っていると思うのですが、
すぐ見つかるのも無粋なので、
ぼくの頭の中に疑問のまま残している
世の不思議があります。

〈なぜ、遠くのモノは小さく見えるのか〉

物理的な大きさは、
手元にあろうが、1キロ先にあろうが、
変わらないはずなのに、
距離が離れれば離れるほど、
ちっちゃくなる。

なんかヘンだなって
思ってたんですよね、昔から。

これは想像でしかないんですが、
生まれつき目が見えない人は、
この現象を理解できないかもって
気がするんです。

パンパンにふくらんだ風船が、
だんだん空気が抜けて
しぼんでいくという様子なら、
直に触っていれば、
大きなモノが小さくなるって
手の感覚で納得できると思うけど、

そんなの何もなしに、
自分との距離が違うだけで、
そいつがデカくなったり、
米粒くらいになったりする。
見えてるぼくにも理解できないんですから。

もしかしたら、視力があるぼくは、
何かの思惑を持ったヘンなヤツに、
錯覚を見せられているのかもしれない。
遠くのモノを小さく見せることで、
ヘンなヤツは、自分の悪巧みを隠せるとか。

で、この『AX アックス』。

またこの本とは関係のないこと
書いちゃいました。すみません。
だって、面白くって上手くって、
何をいえばいいか、わらないんですもの。





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2017年11月14日火曜日

『ファインダーズ・キーパーズ(下)』(スティーヴン・キング)読みました。


自分の思うとおりに
事が進まないときには
へこんだ気分になります。

大それた企みが
うまく行かないときだけじゃなく、
ちょっとしたことでも。

例えばそうだなぁ。

机の端にあるシャーペンを
とろうと思って手を伸ばしたら、
飲みかけのお茶が入ったカップに
ぶつかってしまい、
書類がお茶漬け状態になったときとか。

でもそれが、自分じゃなく
他の人がやったことだとしたら、
申し訳ないけど笑っちゃったりする。

他人が何かやろうとして、
その目の前に障害がある姿って、
もしかしたらエンターテイメントの
原型なのかもしれないな、
なんて思ったりします。

で、この『ファインダーズ・キーパーズ』。

キングさんって、
どんな登場人物にも分け隔てなく、
目の前に障害物を置いてくれます。
〈シャープペンをとる〉みたいな
ちっちゃなことでも。
これぞエンタメでした。





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2017年11月9日木曜日

『プリズンホテル(1)夏』(浅田次郎)読みました。


食が細くなったと感じ始めたのは
いつぐらいからだったでしょうか。

20代の後半には、
「だいぶ食えなくなったな」
と感じていたように思うし、
いや30代や40代になってからだって
バカ食いできた記憶はあるし。

ま、いずれにしても、50を過ぎた今は
10代の頃の食欲にはかないません。

それがよくわかるのが、旅館の食事。
温泉宿なんかにいくと、
これでもかってくらい皿がたくさん出てきて、
料理てんこ盛り状態になりますよね。

10代後半のころには、
あの量を見てうれしくてたまらなかった。

でも、今だと、ひとつの皿ごとに、
ちょっとだけ箸をつけて、
とりあえず全部さらってから、
お腹の張り具合と相談しつつ、
美味しいものから順にこなしていく。

そうすると大抵、半分くらいは残しちゃう。

それでもたまに、
小量バージョンの旅館に当たることもあり、
そんなときは、なんとか完食できる。

ただ、小量バージョンと思っていたところで、
メインがあとから
運ばれてきたりすることもあるのが、困りもの。

それ早く言ってよ……って思っても、
最初から手元に出されていた献立表に
書いてあったりするんですよね。

で、この『プリズンホテル(1)夏』。

うんうん、面白い。
ただ、ぼくには少し、てんこ盛り感があり、
あと1つくらいエピソード小量が
ちょうどよかったかな。





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2017年11月7日火曜日

『ファインダーズ・キーパーズ(上)』(スティーヴン・キング)読みました。


老夫婦に拾われた桃太郎が
すくすくと元気に育ち、
悪い鬼軍団を退治して
ヤツらから金銀財宝を
奪い取ってくるお話。

と、
昔話のあらすじを書いてみたら、
約50文字でおさまりました。

単純というか、
なんともシンプルなお話なんですね。

このお話を全部書き起こすと、
この感想文もどきの5個ぶんくらいの
文字量になるでしょうか。

まさか、何巻も続く吉川英治さんとか
司馬遼太郎さんの本みたいな
長編にはならないですよね。

それをもし長々とつづっていくとしたら、
川から流れてきたモモを克明に描写して、
お爺さんの性格やこれまでの経験なんかも
たくさん入れ込んで、
もちろんお婆さんの食べ物の好みや
持病のことなんかを説明しながら、
サルとイヌとキジそれぞれの
バックグランドにも触れ、
どうでもいいあれもこれもを書かないと
ページは埋まらないでしょう。

そんでもって、
そんなことをして引き伸ばしたら、
読むに堪えない、
だらだらの本になるのは見えてます。

で、この『ファインダーズ・キーパーズ(上)』。

まだ上巻しか読んでいませんが、
あらすじをまとめたら
桃太郎ほどにできちゃうお話でした。
それでも上下巻の長編。
それでもずっと
ドキドキワクワクしながら読める。

なんなんでしょうね、キングさんの力って。





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2017年11月2日木曜日

『若い読者のための 第三のチンパンジー』(ジャレド・ダイアモンド)読みました。


その本を読んだこと自体を忘れて、
初めてだと思ってページをめくり、
半分以上目を通したたあとで
「あ、この本、前に読んだ」
って思い出す体験。

実はそんなこと、
軟弱な記憶力しかないぼくでも、
この前の『鉄道員(ぽっぽや)』が
初めてだったんです。

再読するときは、
内容を覚えていないのを自覚しながらも、
〈読んだ記録〉は頭の中にあって、
「よしもう一度読むぞ」と意識しています。

だから、再読のときは、
前に読んだのと同じ内容が
目の前の文章に出てきていいんです。
(というか、出てきて当たり前)

それを、
「ああ、そうだった。そうだった」と、
ときどき思い出したりするのも、
また楽しいから。

そして。再読でもなく、
読んだことを忘れているでもない本でも、
以前目にした内容が書かれているという
〈第3のデジャビュ〉があります。

例えば、
同じ著者が以前書いていたネタを
使い回している場合など。

で、この『第三のチンパンジー』。

ジャレド・ダイアモンドさんの著作は、
『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』
『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』
なんかがとても面白かったです。

それらを短くまとめてひっくるめて
1つにしたのが、この本でした。
なのでぼくには第3のデジャビュでした。





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2017年10月31日火曜日

『アノニム』(原田マハ)読みました。


2、3カ月前にここに書いた
『ベストセラーコード』って本で、
どんな作家のどんな内容の本が
よく売れるのかを分析していました。

そこには確か、
「物語の舞台は、
 その作家の得意分野を選ぶのがいい」
といっていたような気がします。

弁護士から作家になる人がいれば、
法廷を舞台にしたものとか、
経済記事を書いていたライター出身なら、
ビジネス界の物語やお仕事小説とか、
主婦だったら
家庭を中心にしたストーリーとか。

自分がどっぷりはまっている世界の中で
キャラクターを配置して動かしていく。

そうすれば、
不自然な描写はおのずとなくなって、
読者はフィクションだとわかっていながらも、
リアリティひしひしの、
臨場感ばくばくの状態になれる。

で、この『アノニム』。

ウィキペディアによると、
作者の原田マハさんの職業は
「小説家、キュレーター、カルチャーライター」
なんだそうです。

2番目のキュレーターってのは、
これまたパソコン辞書によると
「欧米の美術館において、
 作品収集や展覧会企画という
 中枢的な仕事に従事する専門職員。
 学芸員よりも専門性と権限が強い」
だそうです。

つまり絵画の専門家ってとこですね。
よって前述の『ベストセラーコード』の教え通り、
物語の舞台は、絵画関連の美術館だったり、
コレクターだったり、オークションだったり
するのがよろしいってことになります。
この本、その教え通りなんだけどなぁ…。

でも、
『楽園のカンヴァス』なんかは良かったです。





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2017年10月26日木曜日

『鉄道員(ぽっぽや)』(浅田次郎)読みました。


歳をとると記憶力は衰えるものですが、
ぼくの場合は歳には関係なく
もともと通常のレベルより低いみたいです。

飲み会なんかで、久しぶりに会った人に
「今、何やってんの?」と聞いて、
その答えに
「ああ、あの会社にいるんだ。すごいじゃん」
と褒め立てたその30分後にまた
「そう言えば、今はどこ勤めてんの?」
なんて真顔で聞いたりする。

そういう困った症状の出るのが、
歳をとってからなら
まだ救われる気もしますが、
ぼくはそれを20代、30代の頃からやってました。

みんなに馬鹿にされてました。

中には
「また、そのギャグかよ。つまらんから止めな」
と、ぼくの持ちネタだと思っていたヤツもいます。

ただ、この飲み会会話の例は、
記憶力というより、
聞いてないというのが正解な気がします。

聞いたのに聞いてない、
耳に入れただけで気に止めてない。
だから頭の中になくて、再度聞いちゃう。
あ、やっぱ、記憶力の問題か。

で、この『鉄道員(ぽっぽや)』。

浅田次郎さんの作品がいいと気づいて、
未読の代表作は
近いうちに読まないといけないぞと思い、
手にしたのがこの本。
いくつかのお話が詰め込まれた短編集です。

これを3分の2ほど読み終えたときでした。
「あ、この本読んだことある」
と思い出したんです。
ぼくの記憶力なんとかしてほしいです。




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2017年10月24日火曜日

『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一ほか)読みました。


絵を描くのが趣味だという
社長さんに話を聞いたときのこと。

ぼくが社長室に飾られてる作品を指しながら、
「うわー。ホントにお上手ですね。
 美術館に飾られていても
 全然おかしくないです」
なんて、ゴマをすりすりしたことがありました。

でもさすが社長さん、図に乗ることはなく
「私なんかまだまだだよ。
 どれもこれも妥協して
 終わらせてしまうから」
と、ちょっと寂しげに答えてくれました。

商談や部下との打ち合わせなどで
たくさんの来客があるだろう
自分の部屋に飾っている作品だけあって、
素人目にはそれなりにきれいに見える風景画のどこに
「まあいいや、これで」
と筆を投げた部分があるのか、
ちっともわからなかったぼくは
「どこで妥協しているんですか。
 そうは見えますけど」
と尋ねます。

まあそこにも多少は、
ご機嫌取りモードが入っていたかもしれません。

それを察したのか、
社長さんは笑ってぼくの質問をいなし、
雑談から本題に移っていきました。

妥協をぶっ飛ばして、
もう一ひねり手を加える
気力とか時間とかがあったら、
あの社長さんは、
社長じゃなく画家になっていたのかな。

で、この『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』。

もう一ひねりがあったらな……。
清水義範さんの文体模写を前に読んだけど、
あれは、ひねってたなあ。





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2017年10月19日木曜日

『サブマリン』(伊坂幸太郎)読みました。


タイトルでウソをついているというか、
盛りすぎだろうというか、
読んでみたらまったく
答えになってないじゃんというか、
……そういう本って、
あっちゃいけないんだろうけど、
ありますね。
具体的な題名は出しませんけど。

そういえば、
傍若無人でルール無用みたいに見える
作家の平山夢明さんでさえ、
うそ的なタイトルについて否定してました。

実話怪談シリーズみたいな本を
書いている平山さんが、
そのシリーズの中では
「自分で話をつくっちゃダメだ」と、
どっかで言ってたんです。

つくってしまったら「実話」じゃないし、
それやったら、詐欺だって。

あ、タイトルとは違うけど、
表紙のデザインも、結構、
内容とかけ離れているものがたくさんある。
とはいえ、
どんなにデザインが雰囲気に合わなくても、
それが嘘つき範疇もしくは詐欺分類に
入ることはないだろうけど。

内容は軽やかで微笑ましく読めるのに、
何やら重々しい表紙がついていたりとか…。
そんな本は逆に損しているなって思ったりします。

で、この『サブマリン』。

このタイトルどっからつけたのか、
貧弱脳のぼくにはわかりませんでした。
でも、表紙のデザインは、
他の伊坂作品に比べぴったりだとと思いました。
なんやかんや言っても面白いです。





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2017年10月17日火曜日

『アイネクライネナハトムジーク』(伊坂幸太郎)読みました。


これまでやってきたぼくの作業は、
単行本の仕事にしても、
新聞や雑誌の原稿にしても、
数百文字から
せいぜい2、3千文字くらいまでが、
ひとつのまとまりになっています。

この感想文もどきの一つひとつも、
だいたい600文字くらいの
かたまりですね。

300ページ前後の単行本をこなすのだって、
1項目千文字前後の固まりを
何個もつなげてつくってきました。

んで、そうした原稿をつくるとき、
ぼくはまず、
タイトル(というかその項目の見出し)を書いて、
そのあとでリード文や本文を
つくるやり方をしています。

逆の順番でやる人もいますが、
長年そうやってきたので、
それがクセみたいになってしまいました。

でもこれ、
効率的じゃないってわかっています。
だって、リードや本文を書いた後で、
タイトルを読んでみると、本文の内容と
全然リンクしていないことがあるんですもの。

「弘法も筆の誤り」って題で、
慣れている人でも気をつけよう
という記事を書こうと思ったら、
なぜか書きやすい筆の種類の話になり
「どの筆でも気を抜かず、
 きれいにキチンと使いましょう」
って結びの文章になっていたりする。
だったら題は、
「弘法、筆を選ばず」じゃん、って具合です。

で、この『アイネクライネナハトムジーク』。

思いつくまま書いていたら、
何を結論にしたかったのか、
忘れちゃいました。
でも、本は面白かったです。





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2017年10月12日木曜日

『精霊流し』(さだまさし)読みました。


出版社の編集担当の人から
こんな不満を聞かされたことがあります。

「著名な大学教授だったから、
 安心してたんですけどね。
 でも、もらった原稿を確認したら、
 その先生が前に書いたネタと
 まるっきり同じだったんです。

 それでも気がとがめたのか、
 語尾とか言い回しなんかは
 所々変えてたんですけどね。
 
 まあ、その元ネタは、
 一般の出版物じゃなく、
 大学の中だけで出した刊行物だったし、
 出版のスケジュールも動かせなくて、
 仕方なくその原稿で進めちゃったんです」

誰かが書いたモノをパクったら
問題はあるけど、
過去に自分でまとめた文章なんだから、
まったくOKでしょ。

って、
その先生が考えていたのかどうかは、
わかりません。

でもね、アナタを著者にして
新しい本をつくりましょうと、
持ちかけてきたんだから、
手垢のついた使い回しじゃなく、
それなりの
ネタとか切り口とか考えましょうよ。

と編集の人は言いたかったんでしょうね。
……はい。ぼくも気をつけるようにします。

で、この『精霊流し』。

前半のほとんどが、
だいぶあとに出版される
『ちゃんぽん食べたかっ!』のネタに
流用されてます。
ぼくは『ちゃんぽん〜』を
先に読んだので、
あの編集さんのような気持ちになりました。





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2017年10月10日火曜日

『ハリネズミの願い』(トーン・テレヘン)読みました。


前回の『死ぬほど読書』(丹羽宇一郎)は、
「皆さん、本を読みましょう」的な
読書奨励の内容でした。

著者さんのこれまで読んできた本が
何冊も紹介されています。
でもこの本の中では、
「オススメの本はない」もしくは
「言わない」と書かれているんです。

理由は、自分がいいと思う本と
ほかの人が感銘を受ける本とは違うから、
だそうです。

自分自身のことを考えても、
若い時に読んで感動し影響を受けた本でも、
歳をとってから読み返してみると、
大した内容じゃないと感じたりする。

逆に若い時に
まったく触手が動かなかった本が、
色んな経験を積んでから読むと、
我を忘れるほど心に染みこんだりする。

同じ自分でも、
そんなに違うのだから、いわんや他人をや、
ってことだそうです。

だから
「この本はいいから読みなさい」と
オススメしちゃっても、
その人にピッタリであるはずはないと。

ふむふむ。
それはなんとなくわかります。

であれば、審査員がいいと認めて
何かの賞を受けた本であっても、
よいと思う人もいれば、
何じゃこりゃと思う人もいるってことかな。

で、この『ハリネズミの願い』。

本屋大賞(翻訳小説部門)を
とった本らしいです。
審査員はたしか全国の書店員さん。
その人たちの多くがオススメした本ですね。
よって、合う人もいれば合わない人もいる、と。





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